【品種改良とは・その1】トマトが日本で愛されるようになるまで

最近ではスーパーのトマトコーナーが大きくなってきましたね。世界中にトマト品種は10,000種以上あると言われていますが、その起源はアンデス地方であると推定されています。遠い南米大陸から、どのようにして日本までやってきたでしょうか。

 

メキシコからヨーロッパ、そして日本へ

 

栽培トマトの祖先種(野生種)はアンデス山地が南北に連なる南米大陸の太平洋沿岸とそこから西に900kmいった太平洋沖のガラパゴス諸島に現在も自生しています。野生種には緑色のままで着色しないものや、成熟すると同時に色が変わるものなど様々です。この色が変わる祖先種の中には比較的大きい実をつけるものがあり、こういったものがメキシコの先住民に選ばれて食べられ、今の栽培種につながっていると考えられています。

メキシコへは、1492年にコロンブスがヨーロッパから大西洋を横断し、アメリカ大陸周辺の島に到達したのをはじめとして、15世紀から多くの航海者たちが訪れました。彼らがトマトをスペインへ持ち帰ったことが、トマトが世界中に広がっていった転換点です。スペインに渡ったトマトは、ヨーロッパ全土に広がり、ポルトガル経由で日本へたどり着いたという説が有力です。

初めは観賞用

 

どの国においても初めは観賞用として導入されました。ヨーロッパにトマトが来た頃には、果実がほおずき科の有毒植物と極めて似ていたため毒があると思われていたという説や、一種の催淫性をもつ不道徳なものとされたという説など諸説ありますが、何れにしても印象が悪かったため、食用としては広がらなかったと見られています。しかしながら、ヨーロッパにおいても1770年代には複数の文献から食用としての記述が見られるようになりました。スペインに持ち込まれてから、食用として認知されるまで150年近くの時間を要しました。

日本においても江戸時代1668年の狩野探幽の「写生帖」には、唐なすびという言葉と共に、トマトの絵が描かれていますが、実際に野菜として栽培されるようになったのは、明治維新以降です。

 

日本でのトマト人気

 

明治初期から昭和初期までは、アメリカ、イギリス、フランスから品種を輸入し、そのまま栽培していました。果皮が桃色系の品種「ポンテローザ」や「ジュンピンク」は実が大きく、酸味やトマト特有の香りが少なく、トマトを食べ慣れない人々にも美しいと感じられ、トマトの消費が増えて行きました。こうしたことからトマトの品種を食味で選ぶという風潮も生まれてきたと考えられます。

また大正時代から洋食ブームが来たことも、トマトへの親しみやすさが増した理由の一つです。オムライスやトンカツにはトマトを加工したケチャップやソースが使われたため、トマトの消費量もぐっと上がりました。明治初期には60haしかなかった栽培面積も、昭和23年には1万ha以上と増えました。この間にトマトの品種改良が進み、病気に強くなったり、トマト臭さがなくなったり(詳しくはまた次回!)、栽培、栽培資材や流通といったあらゆる分野の技術も進歩していき、近年ではスーパーでは大玉からミニまで、用途に合わせて選べるまでに普及されました。

さらにトマトはリコピンやビタミンCが多く含まれていますが、2000年代になりそれらの効果について研究されるようになると、健康ブームに合わせ食品メーカーも参画するようにもなり、さらに愛される野菜へと飛躍し、現在に至るのです。

 

(参考図書)

田淵俊人:「まるごとわかるトマト」,誠文堂新光社,2017

鵜飼保雄・大澤良編著:「品種改良の世界史 作物編」,(加屋隆士,第13章 トマト)悠書館,2010

エペ・フゥーヴェリンク編著(中野明正・池田英男監訳),「トマト オランダの多収技術と理論ー100トンどりの秘密」,農山漁村文化協会,2012